春。
それは始まりの季節。

(……緊張するなあ)

ドキドキと高鳴る胸を、真新しい制服の上から抑え、彼女はごくりと喉を鳴らした。
入学式は、無事に終わった。
クラス発表もきちんと確認した。
ここまでは順調だ。
……クラス担任の姿が、何故か檀上から見つけられなかったのは気になったが。
まあ、姿が見えないぐらい大した問題ではないだろう。
行くべきクラスは、きちんと聞こえていたのだから。

(1−A……)

「……って」

はた、と困ってしまった。
行くべき場所の名称はわかっている。
1−Aに行けばいいのだ。
だが、その1−Aがどこにあるのかが、わからない。
この聖ウェブリン学園という学校は、初等部から高等部まであるマンモス校。
入学式の行われたホールから、どこに向かえばいいのかがわからない。

(……困ったわ)

歩いている人についていけばなんとかなると思っていたのだが……。
どうやらいつの間にか、その人を見失ってしまっていたらしい。

(そういえば、私以外の生徒のほとんどが中等部からの持ち上がりだって言ってたっけ)

中等部からの持ち上がりともなれば、入学式が終わったからといってもまっすぐ教室に向かうとも限らないということなのだろう。
何せ彼らにとってはもうすでに慣れ親しんだ学校なのだ。
教室に行く前に、何かしらの用事を片付けようと考えたとしたっておかしくない。
おそらくは彼女がついていくことを選んだ相手も、そんな生徒のうちの一人だったようだ。
結果として、彼女は入学初日から迷子になってしまったようだ。

(……うーん)

やたらと広い初めての学校で迷子になったわりに、危機感は薄い。
何故なら、この学校には彼女の兄や、幼馴染たちが先輩として存在しているのである。
彼らに連絡を取れば、すぐにでも助けて貰えるのはわかっている。

(でも、それは最後の手段としてとっておきたいのよね)

散々、一人でも大丈夫だと言い張って今に至るのだ。
ここで頼ってしまっては、

『やっぱりお前には俺がついてないと駄目だな!』
『やはりお嬢様には僕がついていませんと……』

ということになってしまいかねない。

(せっかくの高校生活なんだもの。一人立ちできるようにならなきゃ)

うん、と気合を入れ直して教室を探し始める。
と、そこで。

「なァなァ。アンタ、お金持ってねェ?」
「え?」

横から唐突に声をかけられた。
足を止めて、そちらへと向き直る。
そこには、制服を派手に着崩した青年が立っていた。
……なんだろう、もうすでに学ランの下は裸の様な気がする。
そして頭には、ちょこんと帽子が乗っている。

「えっと……」
「持ってたら貸してくんねェ? ちゃんと返すし。いつか。来世ぐらいに」
「…………」

(それ、返す気ないわよね?)

来世で返すというのは、あきらかに詐欺だ。
しかも、それを隠す気もないらしい。

「なァなァ、イイじゃんよォ。オレ様甘いものが飲みたいキブンなんだってェ。
アンタがオレ様にジュース代キフしてくれたらァ」

寄付になった。
隠す気のない詐欺すら諦めたようだ。
つい呆れた顔になる彼女の腕に、青年の手がかかる。
そのままぐい、と引き寄せられてしまった。
唇と唇がくっついてしまいそうな程近づいた顔に驚いて瞳を丸くする。

「……っ!?」

帽子の影、ぎらりと光る双眸が至近距離で笑う。

「アンタも痛いメにあわなくてすむしィ?」
「ちょ……っ!?」

詐欺→寄付→カツアゲ。
見事なまでの進化っぷりに、身をよじって逃れようとする。
聖ウェブリン学園は、近隣でも品行方正な名家の子女が集まると有名な学園だ。
そんな学園の中で、まさかカツアゲにあうとは思っていなかった。

「ほら、出すモン出せってェ。なんならオレ様が探し出してやろうかァ?」
「ちょ、まって……!」

ふんふふん、と上機嫌な鼻歌混じりに、青年の手が彼女の制服のポケットをまさぐる。
必死に抵抗する、そんな時に……。



がつんっ



ものすごく、痛そうな音が響いた。

「いってェエエエエエエ!!!」

そして、とたんにあがる青年の悲鳴。
その隣には、心底あきれ果てたというような顔で別の青年が立っていた。
片目には眼帯を着用している。
その彼が、思いっきりゲンコツを落として彼女を助けてくれたようだった。

「……おい、大丈夫、か? ギランに何もされてないか?」
「してませんー!オレ様ただちょっとお金をキフしてもらおうとしたダケですゥ!」
「……オレには、強盗の現場にしか見えなかった」
「ちげェし!!」
「違うのか?」

ちら、とこちらへ視線を向けて問いかけてくる。
すぐに「はい、カツアゲされてました!」なんてことは言えるわけもなく。

「えーっと……」

「……はぁ」

答えに困った彼女の様子から、大体事情を察したのか諦めたように眼帯をしている彼が溜息をついた。

「どうする?」
「え?」

(どうする……、って。 何を?)

何を聞かれているのかがわからず、首を傾げてしまう。
そんな彼女に、彼は淡々と説明してくれた。

「ギランのことだ。職員室に。突き出すか?」
「ウエエエエエエ!?」
「黙れ、強盗」
「バーカ!オレ様強盗じゃねェモンー」

ぷすぷす、と鼻を鳴らしてギランは不満げだ。
そんな所作は、躾の足りてない動物じみていてちょっと可愛らしい。

(どうしようかな……)

「えっと……。 もうあんなことしない?」
「しないしない!」
「…………」

即答でしない、と断言するギランを、隣の彼は心底信用できないという顔で見ている。
が、入学初日にいきなりトラブルに巻き込まれるのは避けたいのである。
職員室に突き出してしまえば、きっとこの件はすぐに兄や幼馴染たちの耳に入ってしまうことになるだろう。
そうなれば、また結局「やはり一人にしては……」ということになってしまう。

「本当に?もう絶対にしない?」
「しないしない。オレ様嘘つかない」
「……嘘だ」
「ラスは黙ってろっつーのォ!」

げしッ

「〜〜ッ!!」

ギランに思い切り脛を蹴られた青年が、声にならない声で痛みを訴える。
やっぱり職員室に突き出した方がいいような気がしてきた。
それを誤魔化すように、ギランが言葉を続ける。

「っつーかァ?そろそろキョウシツに移動した方がいいんじゃねェ?
ほら、ホームルームとか始まっちまうしィ?」
「……あ」

そういえばそうだ。
迷子になったり、強盗(未遂)にあったりとしている間にずいぶんと時間をロスしてしまった。
そろそろホームルームが始まってもおかしくない。

「そうね、教室に行かないと。
えっと……、ついでで悪いんだけれども、道を聞いてもいいかしら」
「……道?」
「1−Aに行きたいんだけど……」
「……それなら、ちょうどいい」
「え?」
「オレも、同じクラスだ。そっちの……ギランも」
「ギラン・ギノーだぜェ。これからよろしくなァ」
「オレは、ラス・ヴォガード。……よろしく」
「私は……」

お互いに名乗りあい、簡単な自己紹介を済ませる。

先程カツアゲをしていたとも思えない様子で、上機嫌に鼻歌を歌いながらギランは先に歩いて行った。
その後をすぐに歩き出そうとするラスの制服の腕の袖をきゅっ、と掴んだ。
彼にお礼を言いたかったのだ。助けてくれたのだから。

「あの、……あ、ありがとう」
「……! ……別に」

ぶっきらぼうに答えた彼が少し照れている様に見えた。

そしてその後……。
ようやくたどりつけた先の教室にて、彼女は担任であるレオニダス先生が何故檀上で姿が見えなかったかを知ることになる。

それが、彼女の――…波乱に満ちた学園生活の始まりだった。



☆★☆


一方その頃の生徒会室。


「狼種どもばかり優遇されているのはおかしいだろう。
我がスポーツウィップ同好会にももっと予算を割くべきだ」
「そうだよね〜。兄さんがそう言ってるんだからさぁ、さっさと予算寄越せよ」

愛用の鞭を片手に直談判に殴りこんできているのは、メヨーヨ・フォン・ガバルディ。
その隣で、にこにこと薄ら寒い笑みで脅しつけるように予算を要求しているのはオージェ・フォン・ガバルディだ。

「……申し訳ありませんが。
スポーツウィップ同好会には今のところ予算を割くだけの実績がないので……」
「そんなこと言うならさ。
うさぎくん、兄さんの鞭さばきをその身で味わったらいいんじゃない?
実力が知りたいならちょうどいいでしょ」

「全力で遠慮申し上げます」

丁寧な言葉で即断っているのが、生徒会書記であるザラ・スキーンズだ。
必要なのは実績である。
実績というのはどこそこの大会でどれだけの成績をあげたか、という部分だ。
メヨーヨ本人の鞭さばきがどれだけ卓越していようと、実績がなくては予算を割くことは出来ない。

「フン。 オレが顧問をしている陸上部と違うからな。
実績のほとんどない同好会に回せる予算などあるはずがない。
ああ、今季はザナンでの合宿も予定している。予算は以上の通りだ」
「……うわあ。
確かに陸上部は大いに実績をあげてくれていますが……、さすがにこれはちょっと。
僕一人では判断しきれないので、一度保留にさせてください。結果は追って連絡します」
「頼んだぞ」

鷹揚な態度で、横合いからすっと予算の申請書を出してきたのは
陸上部顧問であり、世界史教師のアルル・V・フェルノアだった。

「貴様、私を馬鹿にする気か……!」
「馬鹿になどしていない。 オレは事実を告げただけだ」
「それさ、本当に必要経費なの? ほら、よくある話でしょ?
経費に色つけて請求して、差分を懐に、って。」
「何?」
「ああ、別に名門陸上部顧問サマがそんなことしてるって
疑ってるわけじゃないんだけどね?」

「ほほう。 オレに何か言いたいことがあるらしいな」
「やだな〜、おれはただ『よくある話』をしてるだけだよ。
それとも、心当たりでもあるのかな〜」
「薄汚い狼種どものことだ。それぐらいはしているに違いないな」
「何を……!」
「……はいはい、喧嘩なら外でしてください」

ザラが窓の外を指差す。
その先には、花壇を手入れしている用務員のユリアンがいた。
穏やかな笑みとともに彼が庭を手入れをしてまわる姿はすでに学園の日常と化している。
ザラは、ユリアンと窓越しによく話している。
喧嘩に巻き込まれたくない気持ちもあり、窓に近づき外にいるユリアンに声を掛けた。

「ああ、ユリアン。薔薇が咲きましたね」
「はい! とっても綺麗でしょう。この子達は、毎日必死に生きているんです」
「ふふ、そうですね。……あ、そういえば。
先日、園芸部の育ててる野菜をこっそりちょろまかして食べたという生徒がいまして」
「はあ」
「その生徒は相当な腹痛に苦しんだらしいんですよ」
「それは……、可哀そうに」
「ええ。……それで、一応確認しておくんですが。
何か危険な植物を育てたりなどはしていないんですよね?」
「はい、もちろんです。
きっと何か食べ合わせが悪かったんでしょうね。
俺が育ててるのは、美しい花々ばかりですよ。
それでは、忙しそうなので俺なんかと話していないでお仕事頑張ってください」

にっこり。
笑顔で否定されてしまえば、それ以上の追及は出来なくなってしまった。
一体その生徒は何を食べてしまったというのか。

「……言ってくれたら、ちゃんと食用の方をお分けしたのにな」

ユリアンの去り際、なんだか怖い呟きが聞こえたような気がした。

しかし、その声も生徒会室で永遠と喧嘩をしているメヨーヨ&オージェ兄弟とアルルの声にかき消された。
何の因果か、陸上部顧問であるアルルと、メヨーヨ&オージェ兄弟はすこぶる仲が悪い。
メヨーヨとオージェが入学当日にはすでにいがみ合っていたというのだから、その根は相当深いのだろう。
おそらく前世で何かあったのだ。
そうとしか思えない。
その仲裁をしなければいけない生徒会としては頭が痛い限りである。

「あの……、はぁあ……」
ザラ・スキーンズは深い溜息をつく。
普段なら、こういった揉め事の処理は有能な生徒会長であるネッソ・ガーランドがしっかりやってくれる。
ザラも有能ではあるのだが、どちらかというと事務処理の方が性に合っているのだ。
人物間の揉め事など、そういったことに関してはネッソの方が向いている。
なので、これまでならこういった予算関係の処理も、ネッソが行っていた。
それがどうしてザラが対応するハメになっているのか。
答えは簡単だ。



そのネッソが現在使いものにならないのである。



「……はあ」

再び溜息をついて、ザラはちらりと生徒会室の奥でうろうろと檻に閉じ込められたクマのように歩きまわっているネッソへと視線を向けた。

「俺のお姫様はちゃんと教室までたどりつけたかな……。
なあザラ、やっぱりついていってやるべきだったんじゃないか?
意地悪な男子に泣かされたりしてたら……」
「すいませんネッソ、お嬢様が心配なのもわかるんですが、ちょっと僕一人じゃ対応しきれないんで仕事してください」

その可愛いお姫様が、早速カツアゲ未遂に遭遇しているなどとはつゆ知らず。
生徒会室は本日も盛況である。



END